| 南三の丸銀杏見付を下る坂が銀杏坂(現在の京成ホテル脇)で、銀杏坂から南に入って宮下に至るところが銀杏町である。
元禄3年(1960)に、周防守前見付より城所茂衛門までを銀杏町と改称したもので、その後、坂下、あるいは御宮下と呼ばれたこともあった。銀杏町となったのは、その地に大銀杏樹があったためである。「いちょうまち」が「ぎんなんちょう」と呼ばれるようになったのはいつの頃か、はっきりしない。
銀杏町の突き当たりは、千波湖べりであったが、その後通路は止められ、町屋が建てられた。この地にも武家屋敷があり、寛政9年(1797)には、15軒の武家屋敷が数えられる。
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| ▲大正期の銀杏坂。電車もなく交通手段は人力車だった |
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