銀杏坂を歩こう
      このページは、茨城県水戸市銀杏坂の歴史を紹介していくページです
      富士ビルの長谷川様にお話をお聞きしました
カテゴリー
たべる
さがす
つかう
楽しむ
検索
ニュース
銀杏坂マップ
ガイドシステム
歴史
銀杏坂ウェブガイド〜ゆっくり歩く 楽しく探す〜
トップ歴史


 南三の丸銀杏見付を下る坂が銀杏坂(現在の京成ホテル脇)で、銀杏坂から南に入って宮下に至るところが銀杏町である。

 元禄3年(1960)に、周防守前見付より城所茂衛門までを銀杏町と改称したもので、その後、坂下、あるいは御宮下と呼ばれたこともあった。銀杏町となったのは、その地に大銀杏樹があったためである。「いちょうまち」が「ぎんなんちょう」と呼ばれるようになったのはいつの頃か、はっきりしない。
 銀杏町の突き当たりは、千波湖べりであったが、その後通路は止められ、町屋が建てられた。この地にも武家屋敷があり、寛政9年(1797)には、15軒の武家屋敷が数えられる。

大正期の銀杏坂。電車もなく交通手段は人力車だった

 この町の西側に濠があったが、明治16年に埋められ道路となった。なお、現在銀杏坂と呼ばれる所は、明治20年に切り開かれた(切り通し)銀杏坂新道である。それまで上市と下市をつなぐ道は、那珂川ぞいの杉山通りか、光圀時代につくられた梅光下の下谷と下市の轟町をつなぐ柳堤の新道を通るほかなかった。三の丸から東照宮のある常葉山にかけて杉の森がうっそうとしていた。昭和初期ごろまでは、東照宮の東側急斜面参道あたりにこの杉の大樹が面影を残していた。
江戸初期の銀杏町付近

 銀杏町に隣接する町は、東から南にかけてが柵町一丁目・柵町二丁目、西が宮下、北が南三の丸となっていた。
 明治8年には第一大区第一小区に、同15年には宮下連合村に、同17年には上市連合村に、同22年には水戸市銀杏町となった。
 銀杏町は、昭和41年4月に宮町二丁目に、また水戸駅構内にあたる所は昭和45年5月に宮町一丁目となっており、この地には水戸駅前郵便局がある。
大正末期の銀杏坂付近


    長谷川 實(富士ビルオーナー)



引用文献 『改訂水戸の町名』
 1985年7月,水戸市発行
『水府巷談』 網代茂,1986年4月,
 新いばらきタイムズ社発行
『水戸百年』 1989年4月,
 水戸百年委員会発行